退職の理由と経緯

退職

これを書いている2018年6月現在は、ある法人の団体職員として在職中だ。

しかし既に、直属の上司には退職の意向を伝えている。

まだ諸々の話し合いや手続きが残っているが、少し気持ちが落ち着いたこの時に、退職の経緯とその理由を記しておこうと思う。

退職の理由と、その経緯

今の職場に入職して、もうすぐ10年になる。

大学を卒業する年はリーマンショックが起こる少し前で、景気が上向いていたように記憶している。加えて団塊世代と呼ばれる人々が退職していく中で、どことも採用人数が多かったように思う。いわゆる売り手市場というやつだ。

ちなみに、そんな状況にあって私はろくに就活もせず、いわゆる新卒の切符を最初からドブに捨てたのだが、それはそれで、後悔はしていない。親には今でも申し訳ないとは思っているが。

売り手市場なこともあってか、新卒の切符を捨てた私でも拾ってくれたのが、今の職場だった。

元より、長く居続けたいと思って入った職場ではなかった。また、その仕事に対して何か夢や希望を持っているわけでもなかった。それは、退職する今まさにこの時まで、変わる事はなかった。

他にやりたいことがあり、それを続けるためにはできるだけ時間が確保できそうな仕事が良いなと思ったので、その職を選んだだけだった。

世間一般からすれば、今の職場は勤務条件だけ見ればかなりホワイトな職場のはずだ。

完全週休二日制に加えて、無理なく取得できる有給休暇。業績と関係なく行われる定時昇給。景気や業績に左右されない安定した賞与。充実した福利厚生。休日出勤については必ず平日の勤務日との振替が行われる。それなりに忙しい時期があるのでさすがに残業はゼロではなかったが、きちんと残業代は支払われる。

これだけ好条件が揃っていて、なぜ辞めるのか。その理由は単純で、今の仕事に対して続けていくだけのメンタルを維持することができなかったからだ。

メンタルが維持できなかった原因は2つある。1つは、公務員的な業務というのが想像以上に不毛でやり甲斐が無いものだったからだ。

入職してすぐに、公務員的な仕事というのは想像以上に精神が摩耗することを知った。膨大な規程の数々に乗っ取って行われる業務、ペーパーレスが叫ばれる時代に偏重される紙媒体の資料、人員削減にともない個人へ集約されてゆく責任の数々、そして自分以外の誰かにひたすら振り回される日々。

生活のためとはいえ、このような内容に自分の時間が拘束され続けていることに、空しさが日々大きく膨らんでいった。

民間の方がキツいよ、というのはよく聞かされた言葉だが、不毛という意味では公務員的な仕事は民間よりキツいものがあると思う。もちろん、これを天職だという人も少なからずいるのだろうけれども……。

そしてメンタルが維持できなかったもう1つの理由は、人間関係だった。

つまるところ、パワハラめいた上司との出会いで、我慢が限界に来てしまった。

「パワハラめいた」というのは、表向きにはパワハラではない(と思う)のだが、業務に対するパワハラと紙一重の厳しい要求に、心がまいってしまった。

求められる内容に対し、何度も書類を修正して持って行く。そのたびに厳しい叱責が飛ぶ。叱責を受けながら、自分の修正は本当に正しいのかという疑念が消えずに積もりはじめる。そのうちに、果たして上司が何を要求しているのかすら、きちんとした理解が追いつかなくなってゆく。

こんなことは入職して初めてのことだった。気がつけば、仕事中に正常な判断が出来ない状態にまで陥っていた。

数週間の間に、体重は5キロ以上も落ちた。その上司へ説明に行く事を考えると、昼食がとれない位にストレスと不安で緊張していたからだ。

我ながら紙くずのようなメンタルだと思った。仕事に対するモチベーションでもあれば乗り切れたのかもしれないが、そんなものは入職時から持ち合わせていなかったことも、この状況を作り出した原因だったのだろうと思う。

人間関係だけはどうしようも無いが、異動や配置転換は最初から検討しなかった。そうするだけのモチベーションすら、持ち合わせていなかった。

組織に属して不毛な日々を送ることに、もう耐えられなかった。このまま勤務し続けていれば、いずれ鬱で潰れてしまうのは時間の問題だと思った。

だが、こんなつまらないことで潰れるのは嫌だった。そのくらいの「逃げる」勇気はまだ、持ち合わせていた。

活動できるだけの活力があるうちに、動き出さなければならない。

今後、どうやって生きていくのか――クラウドソーシングとの出会い

他人の作った就業時間に拘束されるのも、上から落ちてくる仕事に拘束されるのも、いい加減に嫌気がさした。

だが、仕事をせずにやりたいことだけをやり続けるためのお金もなかった。

幸いにして就労意欲は多少あったが、特にやりたい仕事がなかったのと、同じような目には二度と遭いたくないという思いから、いわゆる正社員として勤める以外に食べていく方法はないのかと調べてみた。

暗い顔をしながらモニターを眺めていると、ある一つの業務形態が目にとまる。それは、クラウドソーシングによる業務請負だった。

クラウドソーシングとは、不特定多数の人が個人や企業が求めるサービスやコンテンツを提供し、その対価を受け取る形態のことだ。

アウトソーシングは特定の専門業者(たとえば派遣会社とか)と契約するが、クラウドソーシングの場合、文字通りクラウド(crowd)――不特定多数の人に業務を委託する。

最近では「ランサーズ」や「クラウドワークス」といったクラウドソーシング専門のサイトが、業務委託を希望する側、および業務受注を希望する側、双方のマッチングを行う場を提供している。

具体的には、誰かに仕事をお願いしたいという個人や企業は、クラウドソーシングサイトを利用してその仕事をサイト上に掲載する。そのサイトに登録したユーザーはサイトに掲載された数多ある仕事のうちから、自分が出来そうな仕事を受注する。

果たして自分にもそんな事ができるのだろうかと思って、クラウドソーシングサイトに掲載されている主な業務内容を調べてみた。

そして一つの内容が興味を引いた。Webライティングだった。

Webライティングとは、文字通りWebサイト上の文章を書く仕事のことだ。コピーライターや記者とどう違うのかという気もするが、少なくともWebサイト上の記事を書く事に特化した人のことをWebライターというらしい。

ランサーズやクラウドワークスでWebライティングの仕事を検索してみると、結構な数の案件がヒットする。いずれもあるテーマや要求に沿った記事の作成がメインであるが、数分あれば書けそうなものもあれば、それなりに調査や取材を行われなければ書けないものもある。報酬についてもピンキリで、1文字あたり0.1円のような報酬とも呼べない金額もあるし、1文字あたり1円以上の案件もある。

そのあたりの相場が果たして高いのか安いのかはよくわからなかったので、実際にWebライティングで生活している人はいるのだろうかと調べてみると、確かにこれ一本で生活費を稼いでいる人はいるようだった。

文章を書く事に抵抗のない人であれば、頑張れば月に20万円以上を稼げるらしい。これは、ありがたい情報だった。もちろん、成功者の意見だけを集約するとどうしてもバイアスがかかるので、真偽の程は定かではないが。

何よりも今の私が、実際にこのWebライティングでどれだけ稼げるのかはわからない。

ただ、妙な自信だけがあった。

文章を書くことは、自身がずっとやりたかったことに直結していた。それだけに、書くことに関しては何の抵抗もない。

今まさに退職しようとしている職場では、自ら動いて調べることを要求される場面が多かった。調査や取材が必要となっても、その経験を生かして実践できるだろうという気持ちがあった。

我ながら阿呆だと思う。

安定した公務員的な地位を捨てて、実際に稼げるかどうかもわからない未経験のクラウドソーシングに飛び込もうとするなど、正気の沙汰では無いだろう。

けれども、「出来る」という自信だけは、確かにあった。

それを示してやろうと思った。

――辞めるか。

誰かに後押しされたわけではないが、気がつくとそう決断していた。

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