平日の朝。起きた瞬間から
「仕事行きたくない……」
という人は多いはずだ。特に月曜日の朝はなおさらだ。
それでも自身の内にある何かに折り合いを付けて行くしかないのだが、時にはどうしても行きたくないということもあるだろう。
本来、仕事を休むのに理由は不要なはずだ。だがそうは言っても、休むという権利を行使することに躊躇する人が多いのは事実だ。
私の場合は、何かと理由を探して自分を納得させることが「休む」ことのスタートになっていた。
有給休暇を取得する理由とは? 理由なんていらないのに?
幸いなことに……というのもヘンな話だが、現在勤めている職場では、有給休暇の取得に関しては特に何も言われない。
さすがに年間に付与される有給休暇を全て取得している猛者はあまり見かけないが、それでも一般的な企業等に比べるとその取得率はかなり高いと思う。
私も繁忙期や閑散期の状況を眺めながら、それなりに有給休暇を取得してきた方だと思う。ただ、取得する際には何かと理由をつけることが多かった。
市役所に行く必要がある、銀行に行く必要がある、火災報知器の点検がある、etc……。
有給休暇の取得は労働者の権利なので、上記のような理由は必要ない。別に誰からも休む理由は聞かれないし、取りづらい空気があるわけでもなかった。
ただ、なんとなく理由を出しておいたほうが気が楽だった。それはつまり、休む事に対して妙な罪悪感を持っていたからだ。
どのような組織でも少なからず事情は同じだと思うが、ある人が休む場合、その一人分のマンパワーは他の誰かがカバーすることになる。このどうしようもない事実が、組織において休むことの大きな足枷になっていると常々思っていた。
もちろん、特に何もない日は誰かが一人休んでも大した影響はないだろう(そうでない職場もあるだろうが)。
ただ、私の職場の場合、部署によってはいつどんな仕事が飛んでくるのか予測がつきにくい部分があるため、休んでいる間に大きな案件が飛んできていて大変だった、というようなことが稀にあった。
そのようなとき、「なぜ自分はこのタイミングで休んでしまったのか……」という微かな罪悪感に襲われた。それは少しすれば忘れてしまうものだったが、襲われている間はどうにも職場で居心地が悪く、落ち着かない。その時間がどうにも耐えがたかった。
おそらく、そうした罪悪感に対する免罪符として、理由を付けるようになったのだと思う。自分はこうした「正当な理由」により休まざるを得なかったので勘弁してください、ということだ。
もちろん、その理由が時折混ぜていた「嘘」の場合、何かあったときに対する罪悪感は半端ないのだが。
我ながら藁のようなメンタルである。
軽い体調不良で休めるか? 行こうと思えば行けるのに?
判断に迷うのは体調不良の場合だ。もちろん、風邪やインフルエンザで動くのも辛いような状態の時は休まざるを得ない(というよりも、インフルエンザの場合は行くと迷惑がかかる)。
問題は、仕事ができそうか否か判断が難しい場合のレベルでの体調不良だ。
ちょっと我慢すれば行けそう、でも身体はだるい、お腹が気持ち悪い、頭がいたい、できれば休みたい、でも薬を飲めばなんとか……。
電話を一本入れれば休めるのだ。体調不良で連絡してくる者に対して誰も出てこいとは言わない。
だが、先に述べた罪悪感が邪魔をしてくる。ここで自分が休んだら誰かが代わりをすることに……というやつだ。
ならば、多少の体調不良を押してでも行った方が良いのではないか。そう思ってしまったら、もう休めなくなってしまう。そうして結局、仕事に行ってしまったことが何度もあった。
簡単に休めたら苦労はしない
繰り返しになるが、有給休暇の取得は労働者の権利だ。これは労働基準法第39条に規定されている。
労働基準法第39条
1.使用者は、その雇入れの日から起算して六箇月間継続勤務し全労働日の八 割以上出勤した労働者に対して、継続し、又は分割した十労働日の有給休暇 を与えなければならない。
(中略)
4.使用者は、前3項の規定による有給休暇を労働者の請求する時季に与えなけ ればならない。ただし、請求された時季に有給休暇を与えることが事業の正 常な運営を妨げる場合においては、他の時季にこれを与えることができる。
だが、法律で定められた権利であるにもかかわらず、有給休暇は取りづらいものだと認識している人が多い。なぜだろうか。
日本人の有給休暇取得率は48.7%! 有給休暇が取りにくい職場の実態まとめ(キャリコネニュース)
この記事によれば、有給休暇を「取りづらい」と回答している社会人のうち、取りづらい理由の1位は「職場に休める空気がない」、2位が「自分が休むと同僚が多く働くことになるから」となっている。
二つの理由はおそらく多少なりともリンクしていて、要は「人手不足で自分が休むと誰かが肩代わりするので、職場全体として休める空気がない」という事情も少なからずあるのだと思う。
「有給休暇の取得は権利なのだから堂々と取れば良いのだ」もちろん、そう出来る人はそうすれば良い。だが現実には私のように周りを気にしてはっきりと言い出すのが難しい人もいるのだ。言うは易し、行うは難しである。
組織はあなたを守ってはくれず、ただ飼い慣らすだけ
ある意味で、私の生活は職場が守ってくれていた。
売り上げノルマの無い労働とそれに見合うだけの対価、充実した福利厚生、無理なく取得できる有給休暇、公務員並みの安定した地位、etc……
だがそれは相互互助的なもので、「あなたがここから逸脱したら、職場の誰かに迷惑がかかるのだ」と突きつけられているようにも感じていた。その一端が、有給休暇においてぼんやりと感じていた「取りにくさ」だった。
もちろん、単純に私が考えすぎだっただけなのかもしれない。別に毎回理由を言わずに有給休暇を取得しても、誰も何も言わなかっただろう。
だがこの先、常に誰かの足枷となり、また誰かが足枷になるのだと意識したとき、それは組織に守られているのではなく、見えない誰かを人質にして脅されているように感じた。
組織に守られているように見えていたが、その実、ただ飴と鞭で飼い慣らされ鎖を付けられていただけだ。
そこに、自由はない。
そこまで思って、組織に属して仕事をすることは自分のスタイルに合わないのだと自覚した。
仕事を辞めた後は、働くのも休むのも、全て自分で責任を取らなくてはならない。
それはとても大変なことだが、誰かに迷惑をかけないという意味では、気が楽だ。
仮病で休んだ記憶
ここからは余談です。
仕事がさほど貯まっているわけでもないし、難しい打ち合わせがあるわけでもない。体調不良かどうか判断に迷っているわけでもない。
それにも関わらず、出勤当日に家のドアを開けようとすると、職場に行くのがどうしても嫌になる……そんなことが過去に何度かあった。
そんなときには、仮病を使って休んだ。
誰かに仕事をカバーされると罪悪感が……と書いておいて何を言っているんだと思うが、長らく仕事をしていると、なぜかどうしても行きたくない日というのが出てくるものである。
理由はない。ただただ行きたくないのだ。
そんな時は、自分の気持ちに素直に従うことにした。
「いま休む事で明日からまた元気に仕事ができる、これは必要悪なのだ」などとは微塵も考えていなかった。おそらく、初めて仮病を使って休んだ時から、既にその仕事に対する疑問を持っていたのだと思う。
無論、翌日に誰かが自分の仕事をカバーしていたことを知ると、やはり微かな罪悪感に悩まされたのだが。

